会社からの電話で帰省先滞在をやむなく中断、それから5日間で延べ49時間出勤という“大ドンデン返し”のスケジュールに直面した、私の2006年第1週。2週目の始まりとなるきのう8日は、疲れた体をリフレッシュすべく、笠岡の北北東およそ35km(注)にある高梁市へと出かけてきました。
高梁は市中心部に歴史的な町並みが残っていることで有名ですが、私が目指したのはその北方にある臥牛山(がぎゅうざん)の上。天守閣が現存する城趾の中では日本一標高が高い場所にあるという、備中松山城です。
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この城趾の歴史は大変古く、有漢地域(現在の高梁市北東部)の地頭であった秋庭三郎重信(あきばさぶろうしげのぶ)によって1240年に砦が置かれたことに端を発する、とされています。
最盛期には臥牛山の4つの峰すべてが要塞地区となり、さらに後には「三本の矢」の伝説で知られる毛利氏が東征の拠点とするなど、中国地方の中世以降の変遷を紐解く上でも重要な史跡と言えますが、現在も残るのは17世紀後半に建造された天守、そして二重櫓などです。
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標高430mという高所に建つ城塞だけあって、そこに至る登頂コースはかなりの急坂路。マイカールートの終点から先にも数百mほど舗装路が付けられているのですが、それを歩いて登るだけでも息が弾みます。さらに、そこから先は不規則な勾配変化と段差の続くケモノ道。史跡公園はご年配の方々も多く訪れる場所だけに、こんなに歩きにくいアプローチを未整備のまま放っておいて大丈夫なのかな?と心配になるほどです。
しかしそれを登り切ると、想像以上に立派な天守が私を待ち構えていました。4か所の門や土塀も復元建築ながらしっかり形をとどめ、外見はまさに四国の松山城(愛媛県松山市)のコンパクトサイズ版といった趣です。
もっとも、天守からの眺望は四国の城とはまるで別物。愛媛の松山城は標高約130m、山の直下はどの方向を眺めても賑やかな市街地ばかり。それに対し、備中松山城の周囲は南方にしか市街地がなく、その傍らを幅の広い高梁川が流れています。盆地の中の町をはるか高みから望むので、外を眺めれば鳥になったような気分が味わえることでしょう。
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惜しむらくは、笠岡を出発したのが14時頃だったこと。この季節の備中松山城本丸は16時30分で閉鎖されるため、臥牛山の頂にいることができたのはわずか30分ほどでした。
次回はぜひとも町歩きを兼ね、この高梁の地を午前中から訪ねてみたいものです。もちろん、その時の足は山陽本線&伯備線で…。
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(注) 直線距離による表記。実際の最短経路は県道34号(笠岡井原線)と国道313号を経由するもので、実行程で45kmを超える。
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